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【ハワイで出逢った 忘れ得ぬ神父と宿命を背負った息子の覚悟②】


次の日、 早朝迎えに來てくれた父親は 代々家系が神父の一族だった

父も祖父も曽祖父も。

その前も...

歴代神父としての人生を 子どもの頃から決められていた一族。

そこに産まれた難病の男の子。

何を受け継いで來たのか...

それぞれの人生で起きた出來事の宿題。

それを背負う子孫。

もちろん、徳も当然ある。

でも、徳を超えた業は宿題として 命のバトンと共に受け継がれる。

五感をほぼ失っているその子は ほぼ目も見えず、耳も聞こえず 話すことも普通の子ども達より難しい。

同年代の子ども達と 同じようには過ごすことは到底できず、 数々の病院、専門医にいくら診せても 『原因不明』と言う答えのみで 両親は希望を失っていた。

そんな時、 私の耳に相談として入って來たのだ。

実際逢ったその男の子は、 瞳の綺麗な純真無垢を そのまま生きるような子どもだった。

ただ、やはり瞳は嘘をつかない。

その奥に深い悲しみも苦しみも伴う。

私の目にはそう映っていた。

だけど、 無邪氣に遊び " 不満 " と言う言葉が 見えて來なかったのは、 きっとこの子が

"家系因縁を背負い解消する"

と覚悟を決めて 降りて來た魂に他ならない。

背負うことを覚悟する魂が 肉体に宿り降りて來た。

その所以は余程の恩や縁。

それが無ければ自分の一生を そこに捧げようと覚悟はしない。

あと、可能性としては、

功徳を持って 自分の業を解消する為に 他人の業を自ら背負い生まれるパターン。

いわゆる、修行ともなる人生を選び、 産まれるパターン。

色んなパターンがある。

でも、 この子はこの子の過去世の中で この家系に恩があった魂だった。

だからこそ覚悟して降りて來た。

だけど、その覚悟。

業の十字架に忍び寄る 魔の手の凄まじさを知らず 降りて來たその苦しみを背負って いたのが現実だった。

ただ、十字架を背負って來ただけならば 一生を徳積みの人生として生きることで 業をその分、昇華することが出來る。

だが、業の集まる所に闇は

『待ってました』

かの如く忍び寄り

しがみ付く者 積んだ徳を奪う者 ゴミ箱のように自らの業をなすり付け 落として行く者 更に闇へと引き込む者

様々な闇の存在が忍び寄り 闇のアリ地獄から抜け出せ無いまま 魂の目的の達成、業の解消が出來ないで 消えて行く魂も少なくない。

それでも知ってか知らずか 覚悟して來る魂も多い。

感謝が起こす希望と期待、奇跡を信じて。

消えて行く魂は2度と戻ることが無い。

この男の子はそこに近かった。

だから私が立ち上がった

十字架をこの魂から降ろすのではなく、 その周りに はびこる闇の世界の者達を昇華し、 この子の覚悟を全うできる環境を作るために。

それだけでも魂の目的達成時間は かなり短縮される。

この子の難病とされるものも その闇の魔の手の解消により成長し、 大人になったら "健常者と変わらない" と言われる環境さえも 手に入れることが出來る可能性も出てくる。

とにかく 私はこの子の魂の目的を全うする為の

" 視え無い世界の役割 "

を全て担い、 役目を果たさせて頂いた。

そして、その後、

その子に変化も起きたのだ

少しづつだが症状が軽くなっていった

それを見た両親の喜ぶ顔を 10年以上経った今でも忘れられない。

そして、 だからSuccla☆は辞められない。

この感動の日々が私の生きる意味だから

どれくらいハワイに滞在しただろうか。

とにかく今回2020年1月1日、 元旦から22日間に及ぶ、 ある意味世界一周の役目の旅と 同じように集中した日々をハワイで過ごした。

そして最終日。

=======明日、③へと続く=========

愛と感謝と祈りを込めて

2020年1月30日(木) Succla☆

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