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【 終活と抜苦与楽 ~魂の世界編~②】

私は、本人やご家族に呼ばれ、 肉体を卒業する直前の方とも 多くを語らい、見送って來ています。

余命宣告の中、 自宅で最期を希望される方。

無菌室で最期を迎えられる方。

病院のベットで家族に看取られ 最期を迎えられる方。

また、事故現場でも・・・。

昏睡状態の方や 意識不明の重体となっていらっしゃる方

その方たちは半分魂となって 最期の言葉を残します。

そして、そこにある

『想い残し』

これをよく受け取ります。

また、意識が朦朧としていながらも 言葉を発することができる方や モルヒネで痛みを抑えながらも 最期の声として語られる方も 随分寄り添わせて頂きました。

最期の目を閉じる瞬間まで・・・。

今まで数えきれないほどの 最期を共に過ごさせて頂いて 感じることは "命の尊さ" です。

そしてその人たちが 人種も国も文化も全て超えて 聞く言葉はたった2つ。

全てを超えて 「これが人間の想いなのだ」と 痛感する言葉です。

その一つ。

==========================  なぜもっと自分の人生に  チャレンジしなかったのだろうか ==========================

これを本当によく聞きます。

もっとできることがあったはず。

人の目を氣にして、 言い訳して、できない理由を探す。

ただ、チャレンジしなかっただけなのに。

こんな死の間際になって 後悔しても戻れないですね。

そう言いながら 命の時間を終えて行く姿・・・。

その度に想います。

私は今を元氣に生きている人たちに 何を伝えて行けるだろうか。

ギリギリの所で後悔しても遅い。

若いころに氣付ければ 何かしらの手はあっただろうけど、 それを氣付くには遅かった。

そんな後悔を何度も聞いてきた。

そしてその後悔もまた 次の人生に託す想いへと繋がって行く。

人が人生を終える時には 2人の死神が立ちます

善悪の死神は その人の生前の状態を表します。

その願いが届けられるかどうかは

"魂年齢" と どちらの死神が立つか

によって決められるのです。

そしてもう一つの最後の言葉。

これは全ての人が共通です。

============  ありがとう ============

人は死を覚悟したとき。

その時の苦しみも その時の悲しみも辛さも最期すべてが

『ありがとう』

そう変わって行くのかも知れない。

そう感じる場面を いくつも見送って來ました。

そこで一つだけ・・・

これは人生の最期を 幾度も見送って來たその先・・・

魂になってからのお話しをします。

お釈迦様が仏教を説かれた目的は

「抜苦与楽(ばっくよらく)」

です。

抜苦与楽とは、 苦しみを抜いて、楽しみ、 幸せを与えるということです。

お釈迦様は、 多くの人の苦しみを抜いて、 幸せを与えて行くことに生涯を捧げました。

この生き方。

自分自身の抜苦与楽の生き方や 考え方ができれば 極楽浄土の道へと進みます。

ですが、 必ずしもすべての人がそうだとは限りません。

人生の苦しみや悲しみや怒りや寂しさ。 そして怨み。

自分の人生を呪う。などなど・・・

そんな人たちの行く末・・・。

ここでハッキリとお伝えしておきます。

それは・・・

=======明日③へと続く=======

愛と感謝と祈りを込めて

Succla☆



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