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【 終活と抜苦与楽 ~魂の世界編~①】

『終活』

ここ数年で特によく聞く言葉ですね。

今までの紆余曲折 長い道のりの最終ゴールが見え始める前。

人はお釈迦様のおっしゃった

『四苦八苦』

の中の「四苦」である

"生老病死"

を意識し始めます。

●生まれてくること

●老いること

●病氣すること

●死ぬこと

これは人として生まれることで 避けては通ることのできない 苦労なのですよ、と。

そして、 残りの四苦八苦の中の「八苦」とは

●愛別離苦(あいべつりく)  親愛な者との別れの苦しみ

●怨憎会苦 (おんぞうえく)   恨み憎む者に会う苦しみ

●求不得苦 (ぐふとくく)   求めているものが得られない苦しみ

●五陰盛苦 (ごおんじょうく)   「五陰」は肉体のこと。  肉体あるがゆえの苦しみ。  前の七つを総括したもの

の四苦を加えた言葉。

人生を振り返ることができる年齢になると つい過去の経験の長さに未来が見え始め 考え始めてしまうことありますよね。

私もご相談を小學生から (親が代わりに電話して來て  子どもの相談を受ける)

90代の人たちまで様々ご相談に乗っています。

その中で良く聞くのが、 50代後半から60代に入り、 70代になる手前。

その中で印象的だった ある人との会話を想い出した。

『Succla☆さん。  僕はね、この年になって  ふと考えることがあるんですよ。

 本当にこの人生が後悔無いのかどうか。  やり切ったのかどうかということを。

 若いころは親の期待や周りの期待のため、  結婚したら伴侶のため、  子どもが生まれたら  子どもや家族を守るため。

 そして、  人の羨む成功を求め、  両親や家族を幸せにしたいと願い  社会に役に立つ人生を歩みたいと  会社を立ち上げ、そこからまた  「人として」という意識で  自分の会社のため、社員のため  社会のため、地域のため、  日本の未來のため。

 色んな「何かのため」を理由に  生きて來ました。

 だけど、それが本当に  自分が望んでいたことなのか

 「自分のため」だったのか。  自分の幸せだったのか。  自分が後悔していないのか。

 果たして自分のためとは  なんだったのか・・・

 この年になり、ふと色んなことを  考えることが多くなったんです。

 そしてね、ふと想い出したんですよ。

 "僕には子どもの頃からの夢があったこと"

 そしてそれを横目に置き、  しいては忘れてしまうくらい  日々日々を懸命に「何かのため」に  生きて來たんだということを。

 すっかり忘れてたんですけどね

 Succla☆さん、  この年でも間に合いますかね。

 身辺の整理を考えて行かなくては  いけないこれからの人生の中、

 =======================  もう一度、生まれ変わるように  夢を叶える時間を費やしても  良いのでしょうか  =======================

 残りの時間は限られている。

 家族や社員に  迷惑をかけてしまうかも知れません。

 それでも自分の人生として  最後に後悔したくない。

 それをするにはもう遅いのでしょうか。

 やるべきじゃないのでしょうか』

あの日のことを想い出す。

●子どもの頃は親の望む将来のため

●いい子でいなきゃいけない

●仕事のため

●結婚したら奥さんや子どものため

●親のため

●老後のため

●会社のため

●社員のため

いろんな "ためためため" を疑うことなく それが良い人生なのだと歩んできたその先。

あのしみじみと話してくれた 横顔を忘れることはなく 今も言葉と共に残っている。

でも、リーディングをさせて頂いていると そういう人たちを沢山視る。

『自分の残りの人生、  やり残したことは無いのか』

『自分の生まれて來た意味は何だったのか』

懸命に走りに走って 色んな波がありながら 乗り越えて來た人生。

ふと立ち止まると そこに行き着くのだと いつも考えさせられます。

そして更に私は 本人やご家族に呼ばれ、 肉体を卒業する直前の方とも 多くを語らい、見送って來ています。

余命宣告の中、 自宅で最期を希望される方。

無菌室で最期を迎えられる方。

病院のベットで家族に看取られ 最期を迎えられる方。

また、事故現場でも・・・。

昏睡状態の方や 意識不明の重体となっていらっしゃる方

その方たちは半分魂となって 最期の言葉を残します。

そして、そこにある・・・

=======明日②へと続く=======

愛と感謝と祈りを込めて

Succla☆




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