【36歳で高校卒業 ② 🏫👩‍🎓】

そして、初めての高校🏫・・・ 試験の時のドキドキと入學式の時の アメリカの大学の教室みたいな 上から段になって下に教台がある。 その光景を今でも覚えている。 書道の単位を選択した授業中。 『こんな真っすぐな字を見たことが無い  あなたの生き方がそのまま表れてるね。』 と先生にみんなの前で凄く褒められたことが その時の高校の想い出。 學校の友達ができ、 スクーリングに一緒に行く。 レポートの難しい所を一緒に解く。 學校に行けば 仲間たちと一緒に笑いあう日々。 年齢も職業も育った環境も まるで別の人たちと共に學び、 共に笑いあえた時間は人生の宝でもある。 だけど、 私に高校を辞めなくてはいけない。 そんな状況が訪れた。 私は自分の状況に打つ手無く 負けてしまったのだ。 乗り越えるには時間が必要だった。 人生のどん底を何度経験したら 『私は幸せ』 と呼べる人生を手に入れられるのだろう。 氣が付けば涙がこぼれる。 泣きたくないのに涙がこぼれる。 自分ではどうすることもその状況に 抵抗する氣力すら残らず高校を中退した。 身内の残酷な死。 そして見つけたばかりの 産みの母の欲の集中攻撃。 それに被せるように次から次から私を 叩きのめすかのように私の身に当時 乗り越えきれない程の出來事が起こり続けた。 とうとう私は、 失語症と拒食症になってしまった。 何も食べれない。 何も話せない。 声も出ない。 人が信じられなくなり、 それでも最後は信じてしまう。 そんな自分に常に苦しむ。 でもとうとう壊れてしまったのだ。 全ての私の生活が動きを停止した。 それでも、 自分に対しても状況に対しても悔しくて 握りこぶしが強過ぎて手の平が血で滲む中 満員電車で仕事には行った。 喋れなくても手も足も動く。 頭も使える。 仕事しなくては生きていけない。 だけど、 それ以外を殆どすべて停止してしまったのだ。 學ぶことも・・・ それよりも自己回復の方が優先だった。 そこから何とか回復して行ったものの、 それでも27歳までは どん底の連続の波が押し寄せた。 學校に復帰したいと頭の片隅にあれど、 状況優先で後回しになってしまった。 そして、アメリカ移住の先、 セドナでの生活を経て、帰国後。 真っ先に思ったのが 「高校卒業したい。」だった。 高校を卒業したくて 日本に帰国したと言っても良いほどだ。 セドナを後にするまでの期間。 Succla☆として長い年月が過ぎ、 多くの人たちの人生と向き合い 話し続けて来た。 感動の涙を何度流してきたか 本当に解らない。 困難な問題を 共に何度解決に向けて歩んだか解らない。 だからこそ、尚更。 人の人生と向き合わさせて頂いてる立場の人間が 中途半端なことをしてやり残した人生を持ち、 人の相談になんて乗れない❗️ 正々堂々とやり切った人生を歩んでます‼️ と言える人生を背負い、 人と真剣に向き合いたい。 そう思い、再度、 高校に行くことを決め準備を始めた。 アメリカを出る。 という大きな人生の岐路。 それでも前に前に私は進んだ。 次の高校では、 体育や情報、英語、世界史の先生たちが 私のレポートの枚数の倍以上の勉強量と 報告のレポートを見て、 そして學校でも 『君みたいな生徒は初めてだ。  点数としては100点だが  点数では測れない素晴らしさを  君に贈ります。』 とテストの解答用紙に 先生が書いて来てくれた。 体育の先生も 『人生そんなに急ぐな。  君には最高速度10キロの車を  プレゼントするよ。  もっと生きるスピードを落としなさい。』 と、いつも私の行動や 他の先生からの評判で心配してくれていた。 いま、振り返ると、 本当に必死に大切に駆け抜けた人生があった。 高校の卒業式。 絶対に泣かないと思って参加した。 だけど、 良く知る先生たちが 両手を目の前の先生と合わせて 花道を作ってくれてその中を潜り抜けたとき 先生たちが涙しながら 『お前は本当によくやったな!  素晴らしかった!  本当におめでとう!!』 と口々に言ってくれた。 その言葉を聞きながら 歩いた花道を今でも忘れず これを書きながらも涙が浮かんでしまう。 そうやって私は、 自分の中でずっと心残りだった 人生に残した心残りを完了することができた。 だからこそ、 またSuccla☆にも磨きが掛かり今がある。 自分の人生真っすぐと 人の命に仕えるために生き切る❗️ わが人生一点の雲なし❗️後悔無し‼️ それが私の輝き✨✨✨ これからも益々自分を高め、 いつ、命を終えたとしても 笑った顔で後悔しない命の終わり方をしたい。 今日を後悔しない人生を積み上げることで 明日に希望と輝きを残す人生。 あなたの心に太陽を照らす人に もっともっとなって行けますように。 愛と感謝と祈りを込めて Succla☆ 🌸🍡☺️🍡🌸




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