【 習慣の "徳" と "業" 】
習慣化とは
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そうなったことがゴールではなく
その習慣を活かして初めて
"#本当の習慣化" という。
😇
『まず、習慣になることは
徳と業を併せ持ちます。
どちらの ”#習慣” を自分が選択するか。
徳を選択しても業を選択しても
その習慣を活かすこともできるのです。』
🌸
『どういうことですか❓』
😇
『そもそも習慣とはどこから起きますか?』
🌸
『心の在り方と行動の癖ですか❓』
😇
『そうですね。心の在り方。
そこがとても大きいです。
#行動は思考が具現化したこと ですよね?』
🌸
『はい。』
😇
『では、その思考はどこから來ますか?』
🌸
『思考ですか❓』
😇
『そうです。思考です。』
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よく言いますが、その思考が
どこから來たか・・・。
ですよね❓ 氣付きですか❓』
😇
『そうです。
「思考」とは「氣付き」から始まります。
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氣付きがないと思考には至りません。
何が起きても素通りです。
ですが、氣付きがあることで
「思考」が動きます。
ではその氣付きはどこから來ますか?』
🌸
『氣付きは感性から、ですか❓』
😇
『そうですね。
氣付きは感性からです。
その感性はどこか基準となりますか?』
🌸
『どこが基準❓・・・・・。』
😇
『感性とは向き合う真剣さです。
どんな物事にも真剣に向き合う。
それが飴を食べる か ガムを噛むか。
「たかがこんなこと?」
と想うことから始まります。
どんなことにも真剣に向き合う。
それが自分以外の全ての氣と繋がり
感覚が磨かれて行きます。
その磨かれた感覚から感性が磨かれ、
感性が磨かれるから氣付きとなり、
氣付きがあるから思考に届き、
思考があるから言葉に変わり、
行動になる。
つまり、感性を磨く一歩を踏まなければ
いつまで経っても自分の人生の
時間泥棒にしかならないのと、
その習慣は徳にも業にも繋がるのですよ。』