【"悟り" に始まりはなく、"修行" に終わりはない ②】


そんな中、とある禅語を お伝えさせていただきます☺️ ===================  潜行密用は愚の如く魯の如し、  只能く相続するを主中の主と名づく   

 宝鏡三昧 =================== よく言われる 『潜行密用(せんこうみつゆう)は  愚(ぐ)の如く、魯(ろ)の如し』 です。 これはどういうことかと言うと ”#瓦を磨いて鏡となす” に通じます。 ここである実話をお話しします💡 昔、とある修行寺の禅師のもとで 修行していたお弟子さんがいました。 そのお弟子さんは とても修行熱心なお弟子さんで 日々座禅を勤しんでいたのですが、 そんなお弟子さんを見ていた禅師が あるとき、お弟子さんにこう質問します。 禅師 「坐禅をして何をするのですか?」 するとお弟子さんは、 弟子 「悟りを開き、  成仏(仏と成す)を得るのです。」 と答えたそうです。 すると、禅師は瓦を一枚持ってきて それを磨きだし、今度は逆に それを見ていたお弟子さんが 弟子 「瓦を磨いてどうされるのですか?」 と聞かれました。 すると禅師は、 禅師 「瓦を磨いて鏡とするのです。」 と答えたそうです。 そこでお弟子さんは、 弟子 「瓦を磨いても鏡にならないですよ。」 と伝えると、禅師はお弟子さんに 禅師 「では、坐禅して  悟りを開く仏になれますか?」 と答えたそうです。 とても深い悟りを 禅師はお弟子さんに伝えたのです。 /  「瓦を磨いて鏡となす」も、  「坐禅して仏となる」というのも、  そのもの自体が "悟り" である。 \ ですが、お弟子さんは ”座禅をすることで悟りを得られる” と想い、一生懸命 "悟りを得るために坐禅をする" ことを続けた心の在り方が行動の ”座禅を組む日々の修行” へと 繋がっていたのです。 けれども禅師は ”#座禅をするそのこと自体が悟りなのだ” と、その心の奥の心理を伝えられた。 物事の本質、深みの部分です。 ここの部分はとても深い部分に 通じてますよね☺️ 座禅をしようと 瓦を磨こうと 日々の生活の中の料理や掃除、食事、 仕事、どんな仕事や家庭生活、 日常生活においても日々が "修行"、 つまり "悟り" なのだということ。 ここに氣付けたとき・・・ =======明日③へと続く======= 愛と感謝と祈りを込めて Succla☆🌸🍡☺️🍡🌸