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執筆者の写真Succla☆

【“瞑想”とは何か】


『瞑想とは何ですか?』と




そしたら、

返って來た答えは

こうだった。




『瞑想とは空(くう)の

世界に行き着くことです』




『空(くう)の世界?

それは

どんな世界なのですか?』




その時、初めて聞いた

本当の

"空(くう)の世界”




どんどん興味が湧き

神様との対話は続く。




『空(くう)の世界とは

何も無い世界です。

ですが、何もないことが

全てあるのだと

氣付く世界でもあります』




『人は見える答えを

求めすぎています。


それは安心感との

引き換えの心の形だと

知っています』




ですが

見せる世界にあるものには

限界が生じ



見えない世界が

それを助ける




心は見えないけれど

心遣いは

形となり心が見える。




人は時にその形を求める




空氣は見えないけれど

生きる命を

支えてくれている。




人は時折、深呼吸で

生命の存在を

その身に感じる。




多くの存在は

見えないものに

救われていますが

見えないから

形がありません。




感じるしかできないのです。

見せる世界だけで

生きようとすると

そこが苦痛になります。




形を求めることに

終わりが無いからです。





そこに悲しみや

怒りや

悔しさは存在します。




ですが、

その先には



喜びや

理解や

幸せや

納得にも繋がることができ、




そこは心が感じる

見えない世界に属します。




そのころ、

見えない世界を体感し

感じ始めるのです。




そして

その大元が感性です。





だからこそ人には

“感性”と呼ばれる

感覚を持つのです。





見えるものだけに

頼るのではなく

自分の感性という

見えない感覚を

研ぎ澄ませたとき




それは最大限に開き

見えないものを

感じる力は目覚め

高まって行くでしょう。




形が無いということは

すべての形が

そこに存在している。




そこに心を

届かすことができたら




🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱



何も無いことがすべてある。



🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱




そこに氣付く境地に

立てるのです。




形あるものいつかは無くなる。

と言いますが …




その形と過ごした

想い出は

自分が消さない限り

消えて

無くなることは無いのです




これは、

形を超えて形が無くとも

見えない世界が

あなたと共に在る。





見える世界と

見えない世界が繋がり

垣根を超えた

瞬間でもあるのです。





これは

入口にしか過ぎません。

つまり、形は無くとも、

すべて在る。

の入口に立ったのです。




そして、

その境地に立てたならば、




空(くう)の世界はどんどん

あなたに想像の枠を超えた

すべてを

もたらせてくれるでしょう。




そして、

見えるものに答えを求め、

形を得る世界だけではなく




その垣根を超えて

見えない世界との共存を

自分自身の心根が

許諾したとき。





人はそれまでの雑念が

綺麗に消え、

自分の中に存在する

見えない世界と

見える世界の均衡を

保ち真実が見えるように

本質を

掴めるようになるのです。





そこにはこれまでの

様々な想いの塊があなたを

取り巻くでしょう。





それでもそれらは

一つ一つあなたが

真実と本質を掴む力を得た時。

消えて行くのです。





見える世界を

極限まで行き着かせ、

深く掘り下げ考え悩んだ人間は

本当の意味の

見えない世界を求めます。





それは、知らない世界を

求めるのではありません。





真実や本質への最終地点へと

自分の足で辿り着くために

両方の世界を知り尽くすために

求めるのです。




🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱



敵を知らぬは 我が身も知らぬ。


我が身甘たるは 敵をも逃す。



🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱




この敵とは、

自分の弱さや傲慢さ、

甘さを指します。




自分と

とことん向き合い、努力し

そして乗り越え

自分の闇に打ち勝った時。




次の扉は開かれる。




そこに新たな世界。




見えない世界が

存在するのです。



そして、

更にそれを深めた時。




ようやく

”空(くう)の世界”を

知ることができるのです。




空(くう)の世界を

知った先は更に極める。





瞑想とはとても奥が深い。




だけれでも、

瞑想を究める人間は

魂を究める力を得る。





この力は

生命の有無に関わらず、

無限に強くなり、

すべての本質を

見極める力となるので、

天地安寧の場を

手に入れる

ことができるのです。





どの世界に

座していたとしても

安寧の場を得る。




これは

極楽浄土にも繋がります。




すべてに動じず

すべてを凌駕し

すべてを感謝し

すべてを愛し

すべてを癒し

すべてを包み

すべてを律し



最後に



すべてを赦し



その周りの渦巻く感情に

振り回されることなく

本質とだけしっかりと向き合う。




なかなか

難しい境地ではあります。




ですが、瞑想とは

とても

奥の深い魂の世界を

生きながらにして

呼吸を通し

チャクラを通し

極められる究極の

見えない世界への入口

でもあるのです。




それにしても、

瞑想とは奥が深い。




見える世界と

見えない世界の垣根を外す。




まさに

私がやってる一つでもある。




人生って本当に深めれば

どこまでも深くなる。





生きている時にしか

深めることができない

『魂の聖長』





これからも自分を極め

そして

一人でも多くの人たちの

氣付きや笑顔に

繋がる生き方を



自分自身が

どこまでも

磨き続けられますように💓




愛と感謝と祈りを込めて




Succla☆




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